現在、多くの日本人プロボクサーが脚光を浴びてますが、
亀田三兄弟であったり、井岡選手であったり、引退されてしまった選手が多いです。
そんな中、彼らが子供の頃から引退した現在まで、
現役を続けている伝説的なボクサーが存在するのです!
その方とは「浪速のジョー」こと、
「辰吉丈一郎」さんです!
子供から大人まで、
ボクシングを知らない方でも、
辰吉丈一郎さんの名前を聞いたことはあると思います。
2015年の4月には息子(次男)の、
寿以輝選手もKOデビューを果たし、
それ以降も立派な戦績でボクシング界を沸かせてます。
辰吉丈一郎さんも現役ということですが、
現在の時点で、試合は全くやれておらず、
肩書きのみが「現役」という形になってしまってます。
元王者ということですが、
今でも実況席に座ったり、
ボクシング関係の仕事は多いです。
きっと収入もファイトマネー以外が中心になっていると思いますが、
現在の収入がどのような感じになっているのか調べてみたいです。
さらには、長く結婚生活を続けている、
素敵な嫁さんとの関係や、
これまでの伝説や武勇伝、名言も掘り下げてみたいです!
「浪速のジョー」こと辰吉丈一郎のプロフィール
名前:辰吉丈一郎
愛称:浪速のジョー
生年月日:1970年5月15日
出身:岡山県倉敷市
階級:バンタム級
身長:164cm
体重:変動あり
デビュー:1989年
配偶者:既婚
関西弁が印象的な辰吉さんですが、
実は大阪ではなくて岡山出身の方なのです!
昔は相当やんちゃしていたみたいですが、
ボクシングを始めたきっかけは、
自分の父親である「粂二(くめじ)」さんの存在があったからです。
幼少期から父親からボクシングの基礎から叩き込まれ、
もし、父の存在がなければ、ただのやんちゃな人生になるところでした。
この家族への感謝の気持ちなども、
辰吉選手の魅力でもあります。
1994年の世界バンタム級の統一戦、
薬師寺保栄選手との一戦は、伝説そのものです。
多くの強い選手を倒しましたが、
薬師寺選手との戦いは、ボクシングファンの記憶に特に強く残っています。
辰吉選手自身のキャリアの中でも、
薬師寺選手との一戦は最も注目を集め、
興行的に大成功し、視聴率も関東で平均39%、関西で43%を記録しました。
試合会場があった名古屋ではまさかの50%超えという、
スポーツの試合にしては、記録的な注目度を誇ったのです!
試合の瞬間最高視聴率に関しては、
まさかの65.6%!
ワールドカップの日本戦並の数字を、
辰吉選手と薬師寺選手だけで集めたことになるのです・・・。
辰吉丈一郎の嫁さんと現在の収入
現役時代から辰吉選手を支えるのが、
嫁さんの「辰吉るみ」さんです。
現在でもるみさんとともに、
両親、兄夫婦の「徳丸」さん一家と、
協力しあって、幸せに暮らしています。
辰吉さんの収入に関しては、
イベントやボクシング関係の祝儀があり、
そういうお金は嫁さんや子供さんとパーッと使うみたいです。
現役選手としてのファイトマネーは、
試合をしてないということで、0だと思いますが、
収入面での嫁さんのサポートは、
家族的に相当強いようです。
嫁さんのるみさんは、
辰吉さんのことを夫として、人として、
尊敬できるとリスペクトしており、
その夫婦での絆は堅くも深いものです。
今では息子さんの選手としての活動があるので、
一家の収入もかなり増えたと憶測できます。
辰吉丈一郎伝説。名言と武勇伝
辰吉選手は子供の頃からボクシング選手として有名になるまで、
現在までずっと、人を惹きつけるカリスマ性を持っています。
過去の伝説や武勇伝を知ると、
今の人でも辰吉さんの魅力に惹きつけられることでしょう。
憎いライバルである薬師寺選手ですが、
試合が終わると、
「薬師寺くんは強かった。試合前に侮辱したことを謝りたい」と語りました。
やんちゃでイケイケな印象がありますが、
人としてのケジメや常識をきっちりわきまえた部分が、
辰吉選手の魅力なのです。
「自分の人生色を塗るのは自分だけですからね。
自分に惚れる。自分を信じる。それしかないですわ」
この名言は有名ですね。
ポジティブシンキングで、前向きになれる言葉。
さらには、打たれっぱなしの練習生に対しては、
男として、母親からもらった体を傷つけられて何とも思わないのは男じゃないなど、
どこか、昔からの侍道に続くような名言も数多く残されています。
古臭ささと新しさが絶妙に入り混じっているも、
辰吉選手の魅力なのです。
ボクシングの道に進んだ息子に対して、
自分が中卒であったことから、
高校には行って欲しかったと語るなど、
学歴のコンプレックスなどを素直に語る部分など、
人として正直でまっすぐな性格も、大人のファンの心を捉える要因です。