モハメドアリ死去(死因・病気・原因)。現在でも差別やVSアントニア猪木は伝説。マイクタイソンとどちらが強い?

ボクシングの元ヘビー級王者、
モハメド・アリさんが亡くなりました。

彼の死去はボクシング界だけでなく、
スポーツ界全体に悲しみを呼びそうです。

ボクシングだけでなく、
社会的な発言によって、
アメリカ社会に影響を与えました。

山あり、谷ありの人生を振り返るとともに、
モハメドアリさんの病気・持病と、
今回死去された死因を堀さがてみたいです。

モハメドアリ死去病気死因理由パーキンソン病パンチドランカー差別

これまでにも、
パーキンソン病など、
パンチドランカーとの関係など、

モハメド・アリさんに関しては様々な憶測がありました。

モハメド・アリ死去。死因と病気との関係。パンチドランカーが原因が?

81年の引退後は人道的活動に力を入れ、国連の「平和大使」にも指名されたが、パーキンソン病を発症し、次第に活動が難しくなった。96年のアトランタ五輪では、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たした。近年は体調が優れず、入院を繰り返していた。

引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160604-00000032-asahi-soci

すでにモハメドアリさんの病気は、
重度のパーキンソン病だと判定してます。

アメリカ・アリゾナの病院にて亡くなり、
これまでにも入院と退院を繰り返していました。

ただ、気になるのは、
パーキンソン病以前に、
多くのボクサーがかかる、
「パンチドランカー」との関係性です。

また、アントニオ猪木戦での、
足元への攻撃が、その病気と関係があるなど、
ネット上では昔から様々な臆説が流れてます。

しかし、パーキンソン病とボクシングの関係は低く、
その根拠には、モハメドアリは現役時代にディフェンスが優れており、
他の普通のボクサーほど脳へのダメージはなかった方です。

仮にモハメドアリさんがパンチドランカーで、
その後にパーキンソン病になったとすれば、
他のディフェンスの下手な選手は、こぞって若くして同じ病気なるでしょう。

ここらへんを考えても、パンチドランカーとモハメドアリさんの病気は関係ないように思えます。
またアントニオ猪木戦での足元への攻撃が原因で、
そのパーキンソン病にかかった説ですが・・・、

確かに試合の怪我が原因で病気になった話はありますが、
その試合が猪木さんとの試合とは断定できません。

その試合以降も、モハメドアリさんは現役でしたので・・・。

現在でもモハメドアリの差別問題は・・・元カシアス・クレイ

モハメドアリさんは実は名前を改名してるのです。
もともとの名前はカシアス・クレイです。

カシアス・クレイとしてローマ五輪にて、
ライトヘビー級金メダルを獲得した彼ですが、
アメリカに帰国した後に、訪れたレストランにて、

黒人であることから、食事の提供を拒否され、

「俺は米国の名誉の象徴として、オリンピックの金メダルを獲得した。
米国の人間が俺にそんな扱いをするというのなら、俺も米国の名誉、金メダルなんか要らない」

と後に語りますが、
レストランを出た後に金メダルを川に捨てたそうです。

プロボクサーに転向した後に、
ヘビー級で次々と強者を撃沈。

そして、ある日からカシアスからモハメドアリに改名します。
(宗教的な理由も絡んでます)

プロ転向後の64年にヘビー級王者に挑戦。前評判では不利とされたが、「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。同じころ、黒人指導者のマルコムXらの影響を受けてイスラム教に改宗し、名前をモハメド・アリに改めた。

プロとして無敗のままだった67年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に米軍への入隊を拒否。ボクシングライセンスを剝奪(はくだつ)され、王座も失ったが、「私とベトコンの間に争いはない」との言葉が有名となるなど、世論に影響を与えた。

引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160604-00000032-asahi-soci

その後もヘビー級で活躍するとともに、
差別への価値観に注目が集まり、
その時代のアメリカ社会に注目され続けました。

差別との戦いの中で様々な批判・肯定が繰り返され、
かなり精神的にも疲れていたのです。

モハメドアリとVSアントニア猪木は伝説

やはり、伝説として長く語り継がれるのは、
日本人にとっては同じく、あの試合です。

それはモハメドアリとアントニオ猪木さんの伝説の試合です。

モハメドアリアントニオ猪木戦ルール契約勝敗ギャラ事実嘘逸話

この試合は終わった直後から現在までに、
少しつづ、事実が明らかになってきており、
猪木さんだけでなく、リングに関わったからからの逸話が多いのです。

当時、アリ戦に向けて、猪木のトレーニングパートナーを務め、試合当日もリングサイドでセコンドを務めたプロレスラーの藤原喜明が言う。

「当時、したり顔をして、“茶番”だと言う連中を見ると我慢ならなかった。ホント、ぶっ殺してやろうかと思ったほどです。試合前も非常にピリピリした状態で、常に命の危険もあった。漏れ伝わってくるアリサイドとの舞台裏を聞くと、アリ軍団にはピストルを持っているヤツが2人もいるというじゃないですか。もし、アリが負けるようなことがあると、何が起こるかわからない。その時は自分が盾になるんだと命がけだった。そもそも出来レースならもっとおもしろくしますよ。真剣勝負だったからこそ、ああいう展開になったんです」

その後、90年代の総合格闘技ブームを嚆こう矢しとして「猪木VSアリ戦」は再評価され、打撃と寝技を得意とする選手同士の攻防として、歓声が沸き上がるような場面となった。新間氏が言う。

「正直、私も忸怩(じくじ)たるものがあった。後日、UFOの川村龍夫社長が、グレイシー柔術の連中にアリ戦のビデオを見せたら、称賛の嵐だったと言ってくれたのがせめてもの救いだった」

実に、「世紀の茶番劇」が文字どおり「格闘技世界一決定戦」と認知されるまでに20年もの歳月を要したのだ。

引用:http://www.asagei.com/excerpt/24423

試合の前後はでは「八百長」だの「茶番」だの言われ、
やはりプロレス人気の最中にあった日本国民には、
その試合の緊張感は、当事者たちから温度差があったようです。

また、アメリカサイドと日本サイドでは、
この試合の認知が異なっているのが面白いです。

日本人で、この試合に関して、
様々な情報を集めた方が、
ブログにてその試合に感想を述べてました。

この件について調査している「完本 1972年のアントニオ猪木」柳澤健のアリ戦部分を確認できた。結論からいうと、自分の推測より猪木がもっと卑劣で、アリがさらに高潔だった。

この本によると、元々アリ対猪木がエキシビジョン(ブックありの試合)として持ち込まれたのは、アリが付き人を用意してプロレスの練習までしていることや、アリ本人とアリ側関係者の証言から明らかである。猪木は偽りで契約を結ばせ、騙し打ちを行った。

来日してからこの事態を知ったアリは帰国しても良かった。先に約束を破ったのは猪木なのだから、契約を破棄して裁判になったとしても確実に勝てただろう。だが、アリは「それならリアルファイトをやってやろうじゃないか」と男らしく勝負を受けた。

引用:http://iwanmayataka.hatenablog.com/entry/2015/06/27/150608

ルールや条件の問題から、
猪木さんサイドの言葉など、
なかなか事実がかみ合わない・・・。

だからこそ、長く伝説として語りづがれる試合なのかなと。

アリさんが亡くなった今、
この試合に関する情報は、
日本サイド(猪木さん)の意見に偏りそうです。

モハメドアリとマイクタイソンはどちらが強いのか?関係は・・・

アメリカのヘビー級の絶対王者といえば、
マイクタイソン選手が記憶に強いですね。

事実、防衛数など、様々な部分を比較してみても、
モハメドアリよりもタイソンの方が強いと予想されます。

モハメドアリマイクタイソン対戦予想強さコメント偉大関係

しかし、時代が違うことが特に・・・、
仮にモハメドアリが、様々な社会問題に巻き込まれないで、
純粋にボクシングを続けることができれば、
もっとキャリアハイな戦績を残せたと考えられるからです。

また、タイソン選手は全盛期のトレーナーをなくして以来、
まるで別人のように劣化してしまったので、
そのボクシングに対する個人的な自制心の強さではモハメドアリに敵わないと。

タイソンの全盛期の選手と、
モハメドアリの全盛期の選手と、
対戦相手のレベルがアリ時代の方が高く、

負け方に対しても、タイソンはKOで敗れることが多かったのに対して、
モハメドアリは派手にやられる試合の方が少ないのです。

モハメドアリの時代のは、
まるで少し前のパッキャオのように、
モンスター級の相手を倒し、番狂わせを繰り返していた・・・。

そう考えると、トータルでモハメドアリの方が、
全盛期は強かった、またはボクシングに対して理解があった選手だったのかなと思います。

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