現在でも伝説として大きく語られる、
元常葉菊川の町田友潤選手。
町田友潤さんの伝説は、
その守備力で、チームのピンチを幾度も救ったこと、
2008年の夏の甲子園を見ていた人は鮮明に覚えていることだろう。
常葉菊川のエースだったの戸狩投手は、
甲子園大会前から肘の状態が悪く、
大会が始まると全力投球ができない様子でした。
エースの不調の痛手を補ったのが、
当時、常葉のセカンドを守っていた町田友潤選手だったのです。
現在でも受け継がれる町田友潤の守備力
2008年の夏の甲子園の常葉菊川は、
エース戸狩の肘の状態もあってか、
相手チームに大量得点を許す試合が多くあったのです。
特に、準決勝の智弁和歌山戦では、
中盤まで大量得点でリードしていたのにもかかわらず、
終盤に智弁和歌山に僅差まで詰め寄られてしまうのです。
その試合の中でも町田友潤くんの守備が光り、
結果、決勝の大阪桐蔭戦にコマを進めることができたのです。
今でも2008年大会の常葉菊川対智弁和歌山は、
高校野球ファンの中でも、好ゲームとして受け継がれ、
さらに、試合を決めた町田友潤の後半での守備は伝説となっているのです。
町田友潤は早稲田に進学し、ヤマハにて引退!ドラフト指名の期待も高かった
町田友潤選手は常葉菊川を卒業すると、
2009年に六大学の強豪・早稲田大学に進学します。
当時の早稲田大学には、ハンカチ王子の斎藤祐樹や大石投手、
さらに、同じ静岡県の英雄・大野健介投手ととものチームになるので、
もし、試合に出るとなると、アマチュア野球ファンからすれば夢のようなラインナップになっていたはずです。
しかし、町田友潤さんは早稲田大学の野球部を退部し、早稲田大学を退学。
しばらく、野球関連の話題で町田友潤さんの話は聞かなくなってしまいました。
やはり、独自の雰囲気のあった常葉菊川と、
他のチームとではまったくギャップがあったのではないといわれていますが、
しっかりとした町田友潤さんの早稲田退部の原因はわかっていません。
のちに町田友潤さんは社会人野球のヤマハにて復活!
ヤマハには、常葉菊川時代のチームメイト戸狩投手がおり、
再び同じチームになるということで、話題になりました。
しかし、町田友潤さんは元々抱えてた体の症状の悪化で、
入部してすぐに引退をしてしまいます。
正直、プロで見てみたかったというファンが多かったので、
ショックを受けた方は多く、高校時代のプレーの神秘化が進んだのでしょう。
若くして引退したからこその伝説。
これから、町田友潤さんの守備を目指す球児がたくさん出てくることでしょう!