和歌山出身の女性登山家の谷口けいさん。
最近、悲しい事故で話題になりました。
谷口けいさんは植原直巳さんの憧れ、
子供の頃から登山家を志していた方のようです。
谷口けいさんは明治大学に在学、卒業後はマスコミの仕事もしてます。
マスコミ業界を離れてから、本格的に登山に関わる仕事していたそうです。
女性登山家として、谷口けいさんは初めて、
「ピオレドール賞」を受賞するなど、その活動は注目されていました。
しかし、谷口けいさんは2015年の12月に、
北海道の山を登山を最後に、お別れとなってしまいました。
谷口けいの滑落(遭難)の原因は?トイレを最後にいなくなる
谷口けいさんは滑落を最後に仲間から逸れてしまったようですが、
最後はトイレに行くために、離れたそうです。
おそらく、谷口けいさんはトイレに行く途中に、
なんらかの原因で、滑落し、遭難したことでしょう・・・。
トイレに行く際はロープを外していたようです。
この部分を見ると「女性」であったことが・・・とも思います。
男性であればロープをつけたまま、
仲間が周囲にいてもトイレはできます。
世界的に女性登山家として尊敬されていた谷口けいさん、
業界の損失は計り知れないことでしょう。
谷口けいの結婚と子供
谷口けいさんは、普通の就職組から離れた独立した生活を長く続けていました。
実は中学生の段階で、谷口けいさんは、
「40歳までに結婚はしない」と決めていたようです。
自分のやりたいことに真っ直ぐ向き合い、その生き様は強いですね!
しかし、谷口けいさんは同年代の方の結婚や出産の話を聞くと、
少なからず、独身を通すことへの疑問はあったようです。
仮に谷口けいさんが結婚するとしたら、自然が好きな方が良いようです。
登山家として、幸せな人生を歩んだ分、
残りの人生は、結婚などの幸せが待っていたでしょう。
谷口けいさんの事故は、本当に悔やまれますね・・・。
ちなみに女性とした初めてエベレストを登った田部井淳子さんは、
ママさん登山家として知られてました。
田部井淳子さんは大きな病気を抱えてしまった時も、
旦那と息子さんの存在に支えられて復帰できたようです。
2013年には、田部井淳子さんは旦那と息子と共に富士山の頂上に登ったようです。
女性登山家としての幸せのあり方として、田部井淳子さんは革命的でありました。
この先、女性登山家として頑張る方は、大きな犠牲と共に、自身の強さを磨かないといけないのでしょう・・・。