「悲劇のエース」として語り継がれるいる丹波慎也選手。
丹波慎也さんはかつて横浜高校に在籍した、4番エースの中心選手です。
高校野球が好きな方、特に横浜高校ファンの方なら、
「丹波慎也」の名前を必ず聞いたことがあるでしょう。
なんせ、あの渡辺元智監督が、
「素質は松坂大輔以上」と太鼓判を押した選手なのですから・・・。
丹波慎也が悲劇のエースと呼ばれる理由
丹波慎也さんは超名門の横浜高校にあって、2年生ながら4番エースとして活躍。
1年生の頃が背番号をもらい、ベンチ入りし、試合でも活躍しており、神奈川では名の知れた選手でした。
その年の甲子園も、神奈川からは丹波慎也選手率いる横浜高校が出場すると予想されていました。
実際に丹波慎也さんは春の甲子園の予選ともなる、秋の大会で活躍しており、評判通りの活躍でした。
しかし、横浜高校が、甲子園出場をほぼ確実にしたときに、
丹波慎也さんは亡くなってしまったそうです・・・。
もし、あと数ヶ月でも生きていたら、
丹波慎也さんは甲子園のマウンドで、
全国のアイドルとなっていたことでしょう・・・松坂大輔のように。
上地雄輔は丹波慎也さんを兄のように慕っていた
上地雄輔さんが元横浜高校の野球部だったことは有名ですが、
ほとんどの人は「1学年下に松坂がいた」という認識をしてるでしょう。
しかし、悲劇のエース・丹波慎也さんの、
1学年下だったという真実もあるのです!
そもそも上地雄輔さんが横浜高校野球部に進んだ理由は、
テレビ活躍する、当時1年生だった丹波慎也さんの姿に影響されたからだそうです。
実際に上地さんは横浜に進学し、丹波慎也さんの後輩として厳しい練習に耐えていたそうです。
上地さんのポジションはキャッチャー。そして丹波慎也さんはピッチャー。一緒にいる時間が長く、周囲からは兄弟のように思われていたそうです!
実際に上地さんは丹波慎也さんについてブログで想いを綴っており、そこには丹波慎也さんを兄のような存在だったと書かれていました。
丹波慎也の写真を渡辺監督は大切にしていた
渡辺元智監督にとっても丹波慎也さんとの出会いは衝撃的だったらしく、悲報を聞いた時は、もしかして自分のせいではないかと、一時期は監督の辞任まで考えたそうです。
丹波慎也さんのことがあって以来の渡辺監督は、これまでよりも徹底して選手の体調管理に気を配ったそうです。
あれだけの大将の、転機となった選手・・・この事実だけでもすごいです。
また、渡辺監督は丹波慎也さんの写真をずっと大切に持ち歩いてたそうです。
今年の夏で渡辺監督は横浜高校の監督を引退しましたが、今でも丹波慎也さんとの出会いを噛み締めてることでしょう。